「優劣」


「優劣」




 
 人間にはそれぞれに良い面が
あって輝いている。
 今悩んで、自分の事が嫌いになって、
自暴自棄になっている人でも、
私から見れば愛すべき対象である。
その良さに優劣はない。



 ただよいのである。 




 人間にはお金持ちと貧乏な人がいる。
それは単純に考えると、社会に貢献できた人と、
貢献できなかった人である。
 これは人間社会の摂理、生物の摂理だから変えようがない。
意欲的な人は成功し、良い物を食べる。
無気力な人は、社会から何も対価を得ず、
家族も養えないかもしれない。
 優劣をつけることは、悪いことではない。
そうしなければ社会は回らないから。



 だが、優秀な人間を愛し、劣位とされる
人間を愛さないというのは一切が間違いである。
 また、劣位に立たされたからと言って
自分を愛することをやめるのも間違いである。




 なぜなら人間は測りようのない存在だから。
愕然として見える差も、実は視野狭窄
見方しだいで優劣などいくらでも変わってしまう。




 何が言いたいのか。



 優劣を競うことは悪いことではないが、
それはまったく持ってすべてではないということである。
 根本的なところでは、比べようのない価値を
それぞれの人間が持っている。



 比べようのない価値を比べるということは
ゴッホとモネの絵の優劣を競うようなものである。
太陽と月の優劣を競うようなものである。
 これらのものはある一定の基準では比べられるが、
それ以外の基準では比べられない。



 これらのものを永遠と比べ続けても
不毛であるし、なんら意味をなさない。
 比べようが、比べまいが、
それはそれとして価値があるのである。




 人間の価値もそれと同じである。
それぞれは輝く星のようなもので、
それはもうそれとして完結した
一つの価値のある存在なのである。




 だから価値がないなどと
感じる必要はどこにもなく、
ただ素直に自分を愛すればよいのである。





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