「冬の買い物」

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 対人恐怖で家に引きこもっていた頃、
 短編小説を書いたりしていました。
 
 結婚生活34年を迎えた夫婦のふとした話。
 妻の視点から日記調で書いた作品です。


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  「冬の買物」





1月12日金曜  妻の日記






 寒さの厳しい1月の休日、明日は久しぶりに、
夫と買い物に出かける。私の町には大きなデパートは無い。
この34年間、私の町に大きなデパートができる事はなかった。



 貧しい私達であるれど、半年に一度は
六駅離れたデパートまで電車で買い物に行こうと決めていた。
半年に一回のささやかな贅沢だ。
 


 今年の冬も、私と夫はまたいつものように
あの道を歩き、ガタゴトと電車に揺られるのだ。








 1月13日  土曜  妻の日記








 夫はいつものように、一箱六百円の餃子を買っていた。
何処が美味しいのか解らないけれど、あの人はもう何年も
同じものを必ず買っている。その度に私は夫に
「余計な買い物はするな」と小言を言う。



 だが口とは裏腹に、そんな夫を
好きな物ばかりを食べてしまう
子供のように感じ、かわいいとさえ思っていた。




 私達が買ったのは、





 メロウの煮付けのお惣菜
 各種野菜
 牛フィレ肉 600グラム
 トップスのケーキ
 40個入りで5000円の高級イチゴ
 夫が選んだいつもの餃子
 etc・・・





 帰りはいつも大変だ。必要以上に買いこんでしまうため、
買い物を袋を持つ手が指が真っ赤になってしまう。




 夫は私に荷物を持たせるのを嫌がる。
やさしさから来るものなのか、男としての力を誇示する為の
見栄なのか解らない。今回はいつもより量が多く、
私は「一袋だけ持つわ」と言って夫の指からそれを
取ろうとした。夫は少しいぶかしげにしていたが、
私の態度が強いことに気がつくと、
「しょうがない不本意だが」と言った表情になった。




 駅に着くと、電車はあと10分後に到着するとの事だったが、
既に人が列をなしていた。夫と一緒に座れるかは解らなかった。




 今年の冬は特別寒いようだ。
夫の手はかじかんで真っ赤になっていたし、
荷物を持つ手が痛々しかった。夫は白い息を吐きながら、
じっと黙っていた。
 私の息も白かった。冬の空気は澄んでいるので、
二人の吐く白い息が綺麗なキャンパスに彩られる
白い絵の具のようだった。





 夫は寡黙な男だ。結婚する前から笑うことは少なく、
子供にもうまく接することができなかったようだ。
 だが家族のことを愛していることは解っていた。
言葉にしなくても解る。私は夫に叱られたことが無い。
出会ってから一度も。



 私は平々凡々な主婦で、とりわけ料理がうまいと言うことも
なかった。若い頃も取り立てて美人と言う事は無く、
どちらかと言うと田舎くさい臭いのする野暮ったい女だったと思う。
会社での仕事振や、内容まで細かくは解らないけれど、
家に入れてくれる生活費はきちんとしていたし、
子供の学費も何とか払うこともできた。何のとりえも無い私からすれば、
そんな夫が大きく見え、そして心の底でいつも感謝していたものだった。





 電車が来るといつものように、乗客がワッと席に飛びついていく。
夫と私も席取りに果敢に挑む。ちょうど二つ開いている席がある。
 それ以外に夫婦が隣同士で座ることのできる場所は見当たらない。
夫は私よりも先に、その席に着いた。その時である、
白いヘッドフォンを聞いた若者が残りの席に座った。
もう二つ開いている席は無い。呆然と立ち尽くしている暇は無かった。
私は夫の真正面にある最後の空席に座るしかなかった。





 二人で座ることはできなかったがなんとか座ることはできた。
私は安堵した。夫はたくさんの荷物袋を抱え、
狭い社内で申し訳なさそうにしていた。
 夫の両隣は気のせいかなんとなく不機嫌そうな表情に見えた。
席が無くなったあとも、乗客はたくさん乗ってきて、
かろうじて夫を客の間で確認できる程度だった。






 乗客のスキマから見ると、夫は下を向いていた。




 私を見ることは無い。



 

 私は夫を眺めていた。なんとなく夫を眺めていた。
考えてみれば、こんなに夫を眺めるなんて事は記憶に
無いぐらいだった。夫は年を取ったようだ。
目じりの辺りに大きく刻まれたしわが二本できている。
頬ももくすんでいるし、髪ももうだいぶ白髪が混じっている。
背骨も少し曲がってしまったようで、前かがみになっている。
体全体が若い頃に比べて小さくなってしまったようだ。



 私は無性に夫の事がいとおしくなった。





 そのしわの一本一本が私と共に歩んできた34年間そのものであり、
その頬のくすみ、髪の白髪その全てが私達の為の苦労に見えた。
電車が走り出すと、夫はスカートの丈の長い中学生の影に完全に
隠れてしまった。




 私は必死になって夫の姿を探した。



 だがどんなに目を凝らしても、



 どんなに覗き込んでも




 夫の姿は見えなかった。




 夫がそこにいることは解っている。
だけど何故か遠く感じる。
私は揺られる電車の中でどうしようもない不安を覚える。



いつしか私の心は夫で埋め尽くされていた。
 

 
 









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