「違和感」


「違和感」





 最近どうも生活が釈然としません。
釈然としないと言うのは、つまらない生活であるという
意味ではありません。どちらかと言えば最近はとても楽しく、
安定しています。





 しかしこう言った生活はどうも性に合わないようです。
青年期における私の人生は失敗や挫折、うまく行かないこと
だらけでした。そう言った状況は苦しいです。
悩みに悩んで、暗いトンネルの中を彷徨っているような
生活が何年も続いていました。




 いつしかそれは私にとって当たり前になって行きました。
そして、そう言った苦しい状況を肯定的に捉えるようさえ
なっていました。なぜなら悩んだり、苦しんだ分だけ人間の思考は
深くなり、得るものも大きいからです。




 火事場の糞力は追い詰められたときに発揮されます。
自分の能力の壁を破るにはどうしても。生きるか死ぬかの限界に
挑戦する必要があるのです。生きるか死ぬかの状況に追い詰め
られたとき、人間の能力は限界を超えると考えています。
またそれを私は何度か体感しました。


  


 私は極めて平凡な能力しか持ち合わせていません。
暗記力も弱いです。基礎学力も大したものはありません。
まともに暮らしていてはおそらく、一度しかない人生で
才能のある人たちの影に埋没してしまうでしょう。
それぐらい私の素養は平平凡凡としているのです。





 しかしながら私には自分の能力として、
唯一誇れる部分があると考えています。
それは「自らを追い込む環境に、躊躇無く飛び込む勇気」を
持っている事です。
 例えるなら、自ら進んで「火事場」に行く事ができるのです。
私は経済学の用語で言えば「危険愛好的な主体」なのです。





 私は失敗を怖れると言う気持ちが殆どありません。
これは欠如と言っていいでしょう。
 私は「火事場」には自分の能力を超えるための
すばらしい試練が沢山待っていると確信しているのです。
そのため、失敗に対する怖れがいつしか欠如してしまいました。





 私は今「火事場」を求めています。
自分を追い詰める対象を探すことが
とても重要だと感じています。その対象が何なのか。
私は考えなくてはなりません。

 




 そしてその目標に対して再び自分を追い込み、
あせり、もがかなくてはなりません。
私は今の生活にはどうしても満足できないのです。
これが悪癖なのか、良い癖なのか。



 


 私は後者だと信じています。









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