「人から嫌われてもよい」


「人から嫌われてもよい」



 
 人間は誰からも好かれたいものです。
誰だって嫌われたくないですし、
愛された生活をしていたいでしょう。
ですが「誰からも嫌われずに生活すること」
これは現実的でしょうか。




 もしかしたら、1ヶ月に接する相手が
3人ぐらいであれば嫌われないで済むかもしれません。
 しかし1ヶ月に接する相手が
10人、20人、100人、1000人と増えていったら
全員から好かれることは不可能であるという
ことを覚悟しなくてはなりません。


 
 例えば今私が「鳥取県出身です」と発言したとします。
極論すればこの発言だけで1000人に3人ぐらいは不快に思うでしょう。
もしかしたら1人は鳥取県で極めて不幸な思いをした人かもしれませんし、
もう1人は鳥取県生まれの男性と不愉快な思い出がある方かもしれません。
さらにもう1人は単純に田舎者が嫌いなのかもしれません。




 また、私が「虫が大好きです」
と発言したとしたとします。こうなるともはや、
1000人に10人ぐらいは私のことを怪訝な目で見るでしょう。



 さらに、私が上機嫌でくだらない冗談を飛ばしながら
1000人の前で講演をしたとします。
そうすれば講演の内容はおいておいて1000人に30人ぐらいは
「ヘラヘラして信用できないやつだ!真面目にやれ!」等の
理由で不快に思うでしょう。





 もしかしたら、「鳥取県出身」「虫が好き」「冗談を言う人間」
が大嫌いと言う人がいたとしたら、もはや私の顔すら見たく
なくなるでしょう。




 
 何が言いたいのでしょうか。





 人間の1つ1つの発言、態度に対しては
どんなに気遣いをしたとしても、
何らかの理由で不快に思う人はいるのです。
ですので人と接するとき、何かを発言するときは
どこかで嫌われる自分を覚悟していなくてはなりません。




 「皆から好かれよう」と思っていると
人間はもはや何も言えなくなってしまいます。
あらゆる発言には爆弾が潜んでいるのです。




 だからと言ってコミュニケーションを止めるわけにはいきません。
なぜなら人と接すれば嫌われる以上に、好意を持たれることもあるでしょうし、
たくさんの情動的体験を通してすばらしい体験をすることができるからです。
 好感をもたれようと努力する姿勢はすばらしいとおもいます。
私も生徒さんが印象が良い会話ができるように講座内容を作っています。
しかしそれはあくまで「できる範囲」で良いのです。



 
 もし「誰からも好かれたい」と言う脅迫的な感情になっていたら
一度立ち止まってほしいのです。誰からも好かれたいと思っていると、
一転の曇りの無い完璧な発言、完璧な表情、完璧な姿勢、完璧なしぐさ、
完璧な発音を目指さなくてはなりません。こんな状態では
会話を楽しめるわけがありません。



 
 
 人から嫌われてもよいも良いのです。
できる範囲で自分なりに努力して印象を良くしようと
頑張っても、たまには人から嫌われるのです。
それはコミュニケーションの宿命で、
どうしようもないことなのです。
人からは嫌われることもあるという宿命を背負えたとき、
覚悟を決められたとき、コミュニケーションは
きっと楽なものになるでしょう。


 
 








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