「中学高校大学時代」


「中学高校大学時代」




 卒業シーズンです。町を歩くとはかま姿の女性が目に入ります。
私は中学、高校時代と男子校にいました。
6年間男子高です。中学校時代は野球に明け暮れました。
結果は出なかったけれど3年間練習をほとんど休まず、
色々な学校と真剣勝負をしたことは青春の良い思い出です。
中学時代は部活でとても充実していた。




 高校時代はとても難しい時代でした。
目標の喪失、真っ赤になってしまって異性とまともに会話ができない、
全く上がらない勉強意欲、社会への敵意・・・
学校では授業中寝てばかりでした。ノートをとった事は1度もありません。
学校が終わると適当にコンビニに行って買い食いしたり
ゲームセンターに行ったり。家ではゴロゴロ、テレビを見て・・・




 時間をどんどん空費する。自分でもそんな生活に
嫌気が差しているのですが、変えることができない。
全ての行動が面倒くさく、なぜ勉強しなくては
ならないのかも分からない。勉強してなんになるんだ。




高校時代は何人かの女の子と付き合いました。
しかし、根本的には全然もてませんでした。
 高校生時代の私は容姿が優れないことはもちろんですが、
それ以上にコミュニケーション能力の欠如が致命的でした。
私はこの時期から軽度の視線恐怖、表情恐怖、
社会不安障害を抱え始めていました。
「自分がどう見られているか」に全ての神経が集中し、
まともに会話することが段々と難しくなっていく。



 周りの全てが自分を馬鹿にする対象に見え、
それにより自分自身が周りを馬鹿にしていく。
口調は攻撃的になると共に、ゆがんだ勝ち負け思考が
心の中を支配していきます。高校時代は、
勝ち負けでしか物事を見れない時代だったと思います。


 
 高校生時代は、「勝てた」と言う感覚よりも
はるかに「負けた」感覚が強かったです。
段々と人と話すのが嫌になっていく。
「負けた」自分をさらけ出すのが嫌になる。
人と話すのが嫌で嫌でしょうがなくなっていく。
自分を守るために、相手の弱いところを見つけてなんとか勝とうとする。
そんなゆがんだ尺度でしか人を見ることができない。



 「勝ち負け思考」が進むと認知行動療法で問題となる
「過度の自責」「過度の一般化」「白黒思考」「過度の悲観」
を併発していきます。毎日のようにこれらの思考を繰り返して
いると次第に気が狂いそうになっていきます。
 中学生時代に白球を追いかけて培われた
自己肯定感、自己統制感、他者信頼感は見事に荒廃し
私は完全に笑顔を失ってしまいました。


 
 大学時代はコミュニケーションから徹底的に逃げていました。
1年の頃は会話をしなくても良い麻雀に費やしました。
麻雀は勝ち負けの世界。勝ち負け思考はさらに増幅しました。
2年の頃からは会計士試験に没頭しました。
試験勉強の世界も勝ち負けの世界。
人間の価値は良い点を取れるかどうかに集約されます。


 
 4年の頃に会計士試験に落ちて、就職が絶望的になり、
「なんて俺は頭が悪いんだ」「就職活動の時期も終わっている」
「あんなに勉強したのに」「誰にも会わせる顔が無い」と絶望しました。



 
 容姿も最悪でした。ストレスでブクブク太って80キロになりました。
美容院は高いのではさみで髪の毛を切って、
洋服は秋だというのにサンダルを履いたり。
毎日同じ格好ばかりしていました。




 試験に落ちたことと、絶望的な容姿になったことが
引き金となり私は重度の社会不安障害
いくつかの強迫性障害を併発し、自室に引きこもりました。
引きこもっているときは誰とも会いたくない。
徹底的に人との会話を拒否するわけです。
トイレに行くのも嫌になります。
 私は22歳の時に自宅の3階で1年間あまり引きこもりました。
周りの同期は会社員として、働き始めている時です。
そういった社会的な立場も自分を追い詰めて行きました。
 


 私は22歳の頃から本格的にコミュニケーションに
関わる勉強をはじめました。すべては自分が実験台です。
話し方の本を買い込み、認知行動療法森田療法など
片っ端から心理療法を試していきました。



 心理療法というのは、薬物療法と違い、
それそのもので劇的に改善するわけではありません。
かなりまどろっこしい。最初は心理療法というものに
期待していた分、随分絶望した記憶があります。
今でも生徒さんにまずはじめに、「魔法は無いです」と告げています。
統計的な事実もありますが、講師の経験として
自分自身の経験と重ねている部分がかなりあるからだと思います。



 しかし、魔法は無いと言っても
他にやることも無かったので
不安階層表を作るところからはじめ、
少しづつ挑戦を始めていきました。

 

 最初は廊下で親とすれ違う所からはじめ、
何日か繰り返して次に母親とご飯を食べはじめ、
最初はほとんど会話しなかったですが
ひとつ、ふたつ質問をしたりして・・・
父親はハードルが高かったので会話はできませんでしたが・・・

 
 
 母親との会話にある程度慣れると次に外に出始めました。
コンビ二に行って買い物をするところから初めて、
犬に声をかけたり。本当に小さなことからはじめました。



 当時付き合っていた彼女にはかなり迷惑をかけました。
私が情緒不安定ですので突然連絡が取れなくなるわけです。
しばらくメールが途絶え、会えない時期が続くと
自殺したかと思ったのか、埼玉からわざわざ自宅まで
来てくれたこともありました。
玄関先でおいおい泣いていたこともあります。



 もちろん彼女ともまともに会話をすることはできませんでした。
目もほとんど合わせないですし、雑談などほとんどしない。
会話もしどろもどろですし、口を開けばネガティブな事しか言わない。
デブで色白でおしゃれとは程遠い洋服を着て、
かつ無職で一円も稼がない私となぜ付き合っていたのか?
いまだに謎です。「弱いものを助ける」という母性の発露だったのでしょうか。
ただ彼女がいたから今の私があるのは間違えないことです。



 その後いくつかのチャレンジが功を奏し、
社会に出る余裕をなんとか手にした私は半年間フリーターをしました。
フリーターの後はある会社の社長に拾われ就職し、
そこで仕事をすることで本格的に回復することができました。
その後、一年発起してコミュニケーションに関する
会社を創ろうとすると役割を終えたように、
彼女は私の元を去っていきました。
本当にやさしい女性でしたので今でも感謝しています。

 
 
 そんな時代が私にはありました。
気がつけばもう7年前ぐらいの話です。
今の仕事をしているなんて当時の私には考えられないことです。
人生は不思議です。



 どうして今の仕事を選んだのかと言えば、
人と話すことに悩む人の役に立ちたいという思いと
私自身が人と接する仕事に渇望していたことです。
この2点についての情熱はどんな講師にも負けないと思います。



 失敗ばかりで生徒さんの信頼を失ったりするけれど
その中でも講座を役に立てて就職したり、
友人を作って楽しそうにしていたり、
自分のコミュニケーションの問題の何かに
気がついて人間関係が良くなった人を見ると
この仕事をやっていて良かったと思います。
結婚までしてくれた生徒さんもいます。本当に嬉しかった。



 私はがさつですし、要領が悪いです。内向的ですので
いまだにくよくよ悩みます。
しかし、馬鹿は馬鹿なりに優秀な先生方や
アシスタントの方の力をお借りして、
良い会社と良い社会を創りたいと思うのです。

 

 コミュニケーション能力の世界は死ぬほど奥が深いです。
物理学のように一定の法則を見つけるのが非常に難しい。
さらになぜかこんなに必要なコミュニケーションスキルの改善に関する
研究はほとんど進んでいない。だからこそやりがいがあるとも言えるのです。


  
 生徒の皆さんは、生徒さんであり、生徒さん自身が先生であり、
生徒さん自身がコミュニケーションに投資している張本人であります。
その恩に報いてもっといい講座、いい人間関係を創ることができる
場所を創ろうと思うのです。




 長くなってしまいましたが、
最近ミクシー上で過去の出来事を
自己開示をされたり、コミュニケーションについて
深く考える生徒さんがたくさんいらっしゃるので
触発されて書いてしまいました。




 おやすみなさい






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4/3(土) ビジネス後期(田中先生)
http://direct-comm.com/course/business01_02.html

*残り2席


4/4(日) お花見(^^)

飲みすぎ用心!!
http://direct-comm.com/event/index.html


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