「はじめに」

「はじめに」



 今日は院で博士課程の先輩に論文を添削してもらった。
赤ペンをたくさん頂いたが、90%仕上がった。
1つ肩の荷が下りた気分です。


心理学の修士論文は目次だけで言うと、


1はじめに
2問題
3方法
4結果
5考察
6引用文献

という流れで書いていきます。
このうち2問題〜6考察までは極めて硬い文章に
なりがちなのですが、「1はじめに」に関しては
わりと自由に書いていいのです。

論文はダイコミュの生徒さんに公表しようと
思っていますが、まずは「1はじめに」だけ
ブログに載せようと思います。



 
はじめに



私にはパソコンの作業に追われ、ただの一言も話さず1日を過ごすことがある。
すると決まって心のどこかに風穴が空いたような感覚を受ける。
「そう言えば今日は誰とも話していないな・・・」と。
少なからずこれは肯定的な感情ではない。どこか寂しいのである。
心の底ではキーボードの画面を打ち込みながら、
「人と向き合って深いところで会話をして分かり合いたい」と願っている。



一方で人と話すのはとても疲れる。理解したい、理解して欲しいけれど、
気疲ればかりしてしまうこともある。会話とはいつもアンビバレントである。
もし会話の技術が不足していれば、実際に人と話してもうまく行かず、
マイナスの条件付けがされてしまう。結果、会話についての自信を失い、
1人で楽しめるナニカに没頭し、自分の世界に閉じこもることになるのである。




確かにそれは現代社会におけるひとつの生き方なのかもしれない。
仕事に限らず、プレイベートでも1人で楽しめるコンテンツはたくさんある。
確かにそういう生き方もできなくはない。
しかし多くの人にとって会話を避け続けことは容易ではない。
パソコンの前で過ごす仕事だとしても、急に同僚からランチに誘われたり、
年に数回は上司と飲みに行く機会が巡ってきたりする。
恋人を口説くにしても会話をしなければどうにもならない。



人間は1つの基本的な欲求として「会話を楽しくしたい」と願っているのではないか。
しかし、「会話のやり方」など英会話やプログラミングのように基本的な教科書や
レーニング法など確立されてない。暗中模索し、せいぜい話し方の本などを
読んで一定の納得を得るしか方法はないのが現状である。



特に雑談は日常的に起こる頻度が高く、人間関係を作るうえで欠かすことの出来ないものである。
雑談は自由度が高いだけに、決まった話し方がない。結婚式のスピーチやプレゼンテーション、
ディスカッションであればまだ参考となる雛型が存在するが、雑談には雛型など存在しない。
日常的に起こる雑談は極めて自由である。人間は意外と自由に対して弱い面を持っている。



雑談には羅針盤がなくだからこそ苦手意識を持つ人が多いと言える。
雑談をする力が無ければもしかしたらあらゆる人間関係の可能性は
閉ざされてしまうかもしれない。そこでこの問題に対するひとつの取り組みとして、
本論文で成人の雑談をテーマに試行錯誤してみたいと思うのである。







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