「未知との遭遇と公的自己意識」

 「〜対人恐怖との戦い〜
  未知との遭遇と公的自己意識の目覚め」




 私の対人恐怖はいつ頃から始まったのだろうか。
私の対人恐怖のピークは大学卒業後から社会人1年目あたり
だったが、その源泉はおそらくそれは中学生時代に遡ると思われる。
まずはその対人恐怖の種となった出来事から振り返ってみようと思う。




 私は中学時代、野球部に所属していた。
男子校だった為、女の子と話すことなく野球に没頭していた。
 野球部を引退したのが中学3年の夏だった。
私は小学校を卒業してから、ついぞ一言も
異性と話すことなく2年半を過ごしてしまっていた。

 



 男子校と言うのは恋愛においては酷な環境である。
色気も糞もない。右も左も青臭い男ばかりである。
そしてそれはいつしか当たり前の環境になって行く。
女の子と言うものは世の中には存在せず、
全く持って異質な存在へと変って行った。
 


 
 言うなれば女の子と言うのは、ある意味で
宇宙人に近い存在、未知の世界の人になっていた。
これは冗談でもなんでもない。
 


 
 男ばかりの環境と言うのは、人から見られるという意識が
育ちにくい。人から見られるという意識は心理学的に
公的自己意識と言われるが、男子校は異性の目が無いために
この公的自己意識が目覚めにくいのである。
学術的、統計的事実は存在しない。あくまでも私の体感的な主張である。




 このブログを読んでいる方が女性だとして、
こんな仮定を想像していただきたい。
「今日は異性と1人も会わない。」とする。
そして貴女ならいつもと同じぐらいお化粧を
する時間を割くだろうか。またいつもと同じぐらい
どんな洋服を着ようか迷うだろうか。答えは明白であろう。






 異性がいないということは「見られている」
と言う意識がなかなか芽生えないのである。
もちろん緩やかに公的自己意識は目覚めてはいた
とは思が、それは小さなものだったと思う。
 



 私は中学2年の後半に到るまで
ほとんど人からどう見られるということを
意識する事無く日々を過ごしてった。





 そんなある日(中学3年の秋頃)、
友人からとんでもないお誘いをもらった。
 それは「5人の女の子とボーリングに行こう」と言うものだった。
私にとって「宇宙人に会いに行こうぜ!」
と言われたようなものだった。
私だけでなく、周りの仲間にとっても同じだっただろう。





 ボーリングまであと3日。
私の公的自己意識は急激に覚醒していった。






(続く)




 




このペースで書き続けていると
2年ぐらいかかりそうだな(笑)
まあいいか。
気長に書きます。


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