「失うことでわかる幸せ」


「失うことでわかる幸せ」




 私はメガネとコンタクトを愛用しています。
先日私は、池袋で3か月分のコンタクト(16,000円)を買い込み、
その足でお気に入りの喫茶店に行き勉強をしていました。
 



 その日はアシスタントの武君とホームページの
最終的な打ち合わせをする日でした。
 私は勉強が一段落すると、自転車で事務所に戻り、
残っていた仕事や武君との作業の準備をしていました。




 武君が会社に来たのは夜の7時頃です。
その日は2人とも徹夜する気でした。
武君と打ち合わせを1時間ぐらいした後、
実際の作業を3時間ぐらい続けました。


 そして夜も深まってきた11時頃、
私はある事実に気が付きました。




「あれっ??買ってきた
コンタクトどこ行った??」

 

 どこを探しても、
買ったはずのコンタクトがありません。
散々探したのでですが、やはりありません!



 完全に無くしたーと思いました。
私は昔からよく物を忘れるのですが、
またやっちまったと頭を抱えていました。




 ただ、唯一あるとすれば、その喫茶店です。
あまり期待せずに武君にその旨を伝えると、
事務所から池袋にダッシュで向かいました。





 そして、閉店の準備に追われるお店に到着し、




「あの!コンタクトの忘れ物が
ありませんでしたか??」



 っと告げました。すると店員さんは、



「あっありましたよ!」




 とにこやかに笑い、私のコンタクトを
持ってきてくれたのです。
 このとき、

「いやあ得したな〜!ついてるついてる、
16,000円得したから武君に何か夜食でも買っていくかあ」

  としみじみ感じている自分がいました。




 しかしよく考えてみれば、変な話です。
元々あるはずのものが、ただ戻ってきただけなのに、
得した気分になっている。
 もっと極端な表現を使えば、
私は幸せな気分になっている。




 これはくだらないようで、大事だと思いました。
私たちは自分が既に持っているものが、如何に大事で
幸せな状態をもたらしているのかを忘れがちです。




 例えば、次の瞬間、全てを失ったとします。
お金、仕事、家、友達、家族、
国家、時間、太陽、空気、健康な体・・・
おそらくその瞬間から、全てを失ったショックで
絶望の局地に立たされるでしょう。





 しかしまた、しばらくしたときに、
突如として、失ったものを得ることができたとします。
 そうしたら、おそらく喜びで感情は爆発するでしょう。




 普段の状態が如何に幸せなのかは、
それを失った状態を味わっていないと
わからないのかもしれません。
 歴史を学ぶということは、
如何に私たちが満たされているのかを
教えてくれます。




 今あるものに目を向け、それを失った状態を想像し、
改めて自分の状況のありがたさを
確認することも大事なのだと感じました。
 



 しかし、コンタクトがあったのは
ラッキーでした(笑)






**