「日常的に「集う」コミュニケーション講座」


「日常的に「集う」コミュニケーション講座」




1990年代以降、話し方教室、スピーチ教室
アサーティブコミュニケーションなど、
コミュニケーション系の講座はある程度
社会的な認知を受けつつあります。




しかし、既存の講座には決定的に欠けている点があります。
それは「継続性の欠如」です。コミュニケーション能力は
スポーツや英会話と同じで、練習や実践を継続しなければ
その能力は落ちていきます。




例えば、私は中学生の頃まで9年間野球をやっていました。
現役の頃は毎日練習していたのでそれなりに守備も
バッティングもできました。しかし、今は野球を
日常的にやっていないため、バッティングセンターに
行ってもなかなかあたりません。




コミュニケーション能力もほぼ同じなのです。
そのため、講座をのシステムを創る人間は、
無理なく継続できるシステムを作ると言う姿勢が求められます。
すなわちコミュニケーション講座に日常性を持たせると言うことです。




現代人は携帯電話を日常的に使用しています。
都市化された社会では携帯電話と同じように、
日常的に人とのコミュニケーションを取れる場所を
確保しておく必要があると考えています。




誰もが持つ携帯電話のように、
誰もが日常的に通うコミュニケーション講座を創りたいのです。




いや、「通う」というよりも「集う」と言う感覚の
方が近いかもしれません。
誰もが日常的に「集う」コミュニケーション講座を創りたいのです。





現在のところ、仕事や家庭以外で人と接することのできる場所は、
ネットを介して存在しています。例えばミクシーにあるオフ会、
料理教室や英会話教室等にある人とのつながり。




しかし、それらの多くが流動的で、
人間関係の密度が極めて薄いと言えます。
これらの場所は、あくまで「料理」や「英会話」が
目的であって、「コミュニケーション」が目的では無いからです。
コミュニケーションはあくまで副次的な目的なのです。




その意味で、継続的な人間関係そのものが目的になっているもっと
ダイレクトな場所が必要だと思うのです。
これは思弁的で統計的な事実があるわけではありませんが。




この点、既存のコミュニケーション系の話し方教室や
スピーチ教室は継続することがとても難しいと言えます。
共通するのが値段の点です。




悲しいことに、儲かれば良いと言う視点から、
資格商法化された膨大なお金がかかる理論や、
理不尽に高い講座が多すぎます。
例えば今流行のNLPは明らかな資格商法です。




ちなみに私は修行時代にNLPの資格を取っていますが、
ほとんど意味の無いものだと思い、プロフィールから
削除しました。こういった似非講座はいずれ時代の選別を受け、
消えていくか、そのやり方の改善を迫られて行くでしょう。




私自身が具体的に成し遂げたいことは、以下の3点です。



1経済的に無理なく長年続けられるシステムを作ること
2何度練習しても損することがない実践的な講座を創ること
 モチベーションを維持できるよう、楽しい知的好奇心が絶えず
 沸くようなワークを創ること
3暖かい、人間に対して受容的な文化をコミュニケーション講座に持たせること





ダイコミュのコミュニケーション講座はその原型です。
私は今の状況をより濃くし、今以上に人間関係の密な
講座を創りたいと考えています。





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