「自己意識を高める」

「自己意識を高める」




ここ数ヶ月、忙しく過ごしていました。自分の好きな
仕事で忙しくできるのはとても幸せなことです。
生徒さん達のおかげで充実した毎日を過ごしています。




忙しく過ごすということは、思考はどちらかと言うと
「やらなくてはならないもの」に向けられ、
自分自身へと向けられることは少なくなります。




これは心理学的には健康的な状態です。
人間は外部に意識が向いているときは、
マイナス思考になりにくく、
精神衛生上も良いとされてます。





逆に過剰な自己意識は
マイナスの要因となります。




しかしながら、時に人間は、自分の問題と
真摯に向き合い、将来どう生きるか、
無駄に時間を過ごしていないかと
反省する時間を持つことも必要です。




今日は久しぶりに、講座の無い日曜日だったので
自分の内面と向き合う時間を取りました。
自分の内面と向き合うとは、勉強や仕事を放り出して、
暗い顔をして、考え事をするということです。
私は定期的にこのような理解不能な行動を取る
悪癖があるのです。





自分の内面と向き合い、独りで部屋に篭ると、
大学卒業した当初、引きこもっていた時の
忌々しい記憶がよみがえってきたりします。




また、現時点でも講座、仕事、友人との交流を離れれば、
家族や恋人がいるわけでもなく、独りで飯を食べ、
誰とも会話することなく、自己意識が高まっていきます。
気がつけばとても寂しい気持ちにもなります。




なんだか寂しくなって、普段は放り投げている
携帯電話を見て、誰かからメールが無いものかと
見ますが、スパムメールばかりで
当たり前ですがメールなどあるわけもありません。




誰かに電話をしようかと電話帳を探りますが、
こんな暗い状態にある、むさくるしい
男から電話がかかってきて嬉しい人がいるわけがありません。
結局は独りで頭を抱え、悶々とするわけです。





ただ、5年前の自己意識の高まりと、現在の自己意識の
高まりは本質的にはまったく別物です。5年前は完全に
受動的でした。「悩みたくないのに悩んでいた」のです。





しかし、現在は、能動的。「悩みたくて悩んでいる」のです。
なぜ悩みたいのかといわれれば、
悩みの中から様々なもの気づきを得てきたからです。
しかし、「悩みたくて悩んでいる」状態と言うのは、
心のどこかで、「悩まずに済む自分がいる」ことを知っているので、
悩み方が散漫になります。深いところまで行かない。





以前の受動的な悩みに比べ、現在の悩みは
表層的で重みに欠ける感覚を受けます。
人間は本当に追い込まれたときこそ、研ぎ澄まされた
考えと出会えたりすると思いますが、
その辺が今私には足りていない気がしています。






そう考えると私はまた環境を設定し、
悩みたくも無い環境で悩まなくては
ならないのでしょうか。
そして、いやいやながらもそれを求めている
自分もいたりするのです。






まったくもって悪癖であります。







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