「いもり」


「いもり」





 人間の世界には小さな生き物が迷い込んできます。
先日、教室の前に、何故か「いもり」がうずくまっていました。
なんとまあ・・・よくぞこんなところまで大冒険してきたものです。



 ただいもりはあまり元気がありません。
おそらく私がここで助けなければ、彼はきっと命を
終わらせることになったでしょう。




 それならばということで、私は尻尾をひょいとつかみ、
草むらまで連れていき、彼を人間社会から隔離したのでした。
 

 
 なんというか、特に都市に住む人は虫や爬虫類が
嫌いな方が多いです。もはや昆虫を見るとホラー映画をみたような
リアクションをされる方がいますが、ちょっと待っておくんなまし・・・
 彼らはなんらの危害を私たちに与えませんし。
よほど我々の方が性質が悪いはずです。



 勝手に彼らのねぐらに家を建てて、
住みかを奪って、それでいて嫌悪するなど、
なんて自分勝手なのでしょう。
っと言う私も、鳥取の田舎に帰って、
でっかい蛾を見るとさすがにびっくりしますが。 


 

 都市は画一化された生命しかありません。
人間と少々の虫と飼いならされた犬や猫ぐらいです。
田舎に帰ると、人間は少数派です。
セミやら、バッタやら、ヤゴやら、ホタルやら、
蛾やら、でっかい蝶々やら、きつねやら、たぬきやら
猿やら、鶏やら、雀やら、とんぼやら、生命の大合唱です。



 
 なんというか、彼らは都市化された社会では
脆弱で、か弱い存在でありますが、彼らのシマに帰れば
それはそれは力強い存在であります。




 例えば彼らは、家がなくても、土と森があれば生きていけます。
お金がなくても、お米やパンがなくても、洋服がなくても
電気やガスがなくても生きていけます。
彼らはゴミを出しません。めちゃめちゃエコロジーです。




 対して我々は果たして、うっそうとした森の中に
放たれてまともに生きていくことができるでしょうか。
人間が使うエネルギーは膨大です。これだけの人間が
生きていくために相当煩雑な仕組みが必要です。
人間は強がっているように見えて、彼らからすれば実は相当もろい
存在なのかもしれません。




 私はいもりを草むらに帰したとき、




「まったくもってお前達は、自分勝手で
 高尚だと思っているかもしれないが、
 なんとも稚拙な社会を作り出したもんだ」





 っと訴えられたような気がします。
ほんと申し訳ないです。としかいえません。






 おわり。


 









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