「働くということ」


「働くということ」
 

 
    
 最近、不労所得と言う言葉が流行っています。
不労所得とは、労働せずに得られる報酬のことを意味します。
私は基本的に不労所得が嫌いです。不労所得を得るために
頭を使うことは一生ないでしょう。人生において、
もったいない時間を過ごすことになると考えているからです。





 京セラの創業者である稲盛和夫
次のように述べています。

 
二宮尊徳は生まれも育ちも貧しく、学問もない一介の農民でありながら、
鋤一本、鍬一本を手に、朝は暗いうちから夜は天に星をいただくまで田畑に出て、
ひたすら誠実、懸命に農作業に努め、働きつづけました。
そして、ただそれだけのことによって、疲弊した農村を、
次々と豊かな村に変えていくという偉業を成し遂げました。

 その業績によってやがて徳川幕府に登用され、並み居る諸侯に交じって
殿中へ招かれるまでになりますが、そのときの立ち居振る舞いは
一片の作法も習ったわけではないにもかかわらず、真の貴人のごとく
威厳に満ちて、神色さえ漂っていたといいます。つまり汗にまみれ、
泥にまみれて働きつづけた「田畑での精進」が、自身も意識しないうちに、
おのずと彼の内面を深く耕し、人格を陶治し、心を研磨して、
魂を高い次元へと練り上げていったのです。

 このように、一つのことに打ち込んできた人、一生懸命に
働きつづけてきた人というのは、その日々の精進を通じて、
おのずと魂が磨かれていき、厚みある人格を形成していくものです。 
働くという営みの尊さは、そこにあります。
心を磨くというと宗教的な修行などを連想するかもしれませんが、
仕事を心から好きになり、一生懸命精魂込めて働く、それだけでいいのです。」


*『生き方 人間として一番大切なこと』サンマーク出版、2004年




 仕事とは、端的に言えば、社会をよくするため、
お客様が喜ぶために存在します。どんな仕事でもそうです。
人のために何かをしようと努力すること。それが仕事だと思います。
そして、そういった行動を続けていくことで、
自分自身の人格も磨かれていきます。そして人格が
磨かれていくからこそ、周りに人が集まってきて、
大きな仕事ができるようになって行くのだと思います。



 仕事をお金のためと考えている人に高度な人格が宿るでしょうか。
高度な人格を備えていない人の周りに人が集まるでしょうか。
周りに人が集まらない人が大きな仕事を成し遂げることができるでしょうか。
できないと思います。



 不労所得を得たとしても、それは社会の影の部分であるシステムを
利用して、正当な手段を踏まずに得ている所得になります。
人間の社会が未発達なために、一時的に残されているシステムへ
乗っかっているにすぎないのです。法律的には問題が無かったとしても、
倫理的に問題があるのです。どうしてそこに気がつかないのでしょうか。
不労所得を得ようとする時間があったら、世の中のために何が
できるかを考えるべきです。



 何でこんなことを書いているのかと言うと、
先日喫茶店で勉強していたときに、
左右の席でマルチ商法の勧誘が
行われていたのです。しきりに夢を語って、
金銭的な欲望を歓喜し、働かずにお金を得ることを
夢のように語る。それも20代前半の若者がです。
人格者とは無縁の世界。私は日本をこんな人
だらけの国にしたくありません。



 さすがに我慢しましたが、
今にも口がでそうになりました。




 働くと言うことについては色々な考えが
あると思います。イチ経営者としての戯言として
頭の片隅にでも入れておいてくだされば嬉しいです。








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