「八百屋のオヤジ」


「八百屋のオヤジ」





 私はごくごく一般的な会社員の父親と教師の母親の
家庭に育ちました。どちらかといえば厳格な家庭だったと思います。
高校生の頃、親にばれない様に少しだけ髪を茶色にしたとき、
カンカンに怒られました。当たり前です。教師の息子ですから。
どこの家庭にもあると思いますが、親の思う「型」から外れないか
いつも監視さている感覚がありました。
今思えばそれは愛情の賜物なのでしょうし、感謝していますが、
当時の私からすれば鬱陶しいものでしかありませんでした。



 
 家庭だけでなく、学校でも中学、高校進むに連れ、
「型」にはめられて行く感覚がありました。
学校では先生がベルトコンベアーのように次から次へと
知識を詰め込んでいきます。「考えること」を停止させ、
盲目的に知識を詰め込ませようとしているように感じていました。




 皆と同じ服を着て、皆と同じ勉強をして、皆と同じ進路を進んでいると
このまま行けば、なんとなく大学へ進んで、なんとなく就職して行くのだと
潜在的に感じ取っていました。高校1年の頃だったと思います。
この頃から「僕は何者なのだろう」と考えることが増えていきました。
通学路、授業中、昼休み、寝る前・・・そのことばかり考えるようになりました。





 僕は一体何物何者なのだろう?




 周りからなんとなくレールを敷かれ、
考えもせず、盲目的に受け入れ、意志を持たず生きているのではないか?
僕は僕ではないのか。僕は誰かによって人生を規定されているのではないか。
僕は親や社会が決めた「型」に飲み込まれ都合よく
創られていっている。それでは僕ではないではないか。




 では僕が僕らしく生きるのはどうすれば良いのだろう?
そもそも僕はなんで生きているんだろう?
死んだらどうなるんだろう?生きていることは意味があるのだろうか?




 生きるとか死ぬとか考え出すととたんに怖くなってくる。




 ああ。そうか。そういえば僕は生きているんだから、
いつかは死んでしまうんだ。親もいつかは死んでしまう。
兄貴もきっと僕よりも早く死ぬだろう。
死ぬときは癌かな?痛い思いはしたくないな。
できれば老衰がいい。とか考えたくも無いことを考えます。




 それでも16歳の思考は否応なく進んでいきます。
そうか。いつかは僕はどんな形であれ死ぬんだな。
じゃあ僕は死んだらどうなるんだろう?
地球って最後は太陽に飲み込まれてなくなっちゃうんだろ?
さらには太陽は最後は膨張して爆発するらしい。




 と言うことは僕らは皆、細かい粒子に分解されて
宇宙にチリジリになっていく。宇宙だって最後は無くなってしまうらしい。
じゃあ今目の前にある勉強とか、進路とかって何の意味があるの?
結論は同じなわけだ。じゃあどうして人間は意味も無い過程に
たいして馬鹿みたいに努力したりしているんだろう。っと。




 少し時計を進めると人間がなぜ生きているのか?
と言う問いの私なりの回答を得たのは大学4年のときでした。
8年ぐらいずっと悩んでいたことになります。
高校生の頃の私にはその答えは見つかりませんでした。
ですので何をするにしても、思考の始点があやふやなので
何をするにも身が入りませんでした。





 ただ私にはなんとなくですが
「自分らしく生きる」と言うのがおぼろげながら
テーマとして意識されるようになっていました。
「自分らしさ」とは何か?まさに青年期の
発達心理で大きな課題となるアイデンティティの問題です。


http://www.direct-comm.com/skill_mental_kokoro-kara3.html





 どうして人間が生きているのかわからないけれど
とりあえず「自分らしく生きたい」と16歳の僕は
考えはじめていました。







 つづく(たぶん(^^;)。。









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