「何ができるか」


「何ができるか」




西洋のことわざにある「愚かな民の上には厳しい政府がある」というのはこのことだ。
これは政府が厳しいというより、民が愚かであることから自ら招いたわざわいである。
愚かな民の上に厳しい政府があるとするならば、よい民の上にはよい政府がある、という理屈になる。
いまこの日本においても、このレベルの人民があるから、このレベルの政府があるのだ。
もしも、国民の徳の水準が落ちて、より無学になることがあったら、
政府の法律もいっそう厳重になるだろう。もし反対に、国民がみな学問を志して
物事の筋道を知って、文明を身につけるようになれば、法律も寛容になっていくだろう。
物事が厳しかったり寛容だったりするのは、ただ国民に徳があるかないかによって
変わってくるものなのである。



福澤 諭吉 学問のすすめ
現代語訳 (ちくま新書) P18 筑摩書房





福澤諭吉が亡くなった1900年前後の時代は
日本が全世界に占める購買力平価GDPの割合は2.5%程度、
人口は4,000万人でした。GDPは何位か出展が無かったので
調べられませんでしたが、下位に甘んじていたと思います。



現在の日本は購買力平価GDPが世界に占める割合は9%程度、
人口は1億2,000万人、GDPは中国にすでに抜かれたかも
しれませんがそれでも世界で3位です。




福澤諭吉が今の日本を見たらどう思うのかな。
よくやった!と誉めてくれるのか。
それとも何をやっとるか!と叱るのか。



私はたまに都庁に上って関東平野を見渡すことがあります。
見渡す限り、車が往来し、びっしりとビルやマンションが建ち、
海は船、空には飛行機が飛んでいます。



たかだか65年前ぐらいにB29がたくさん飛んできて
焼け野原になった国とはとても思えません。
65年と言う月日を考えれば、この国を復興させたのは
半分が爺さん達で、もう半分が我々の親父達です。
今でこそ土日休みが当たり前ですが、
昔は土曜日は当たり前のように出勤、
帰りは0時が当たり前でした。



私の親父も寝る頃にいつも帰ってきていました。
平日一緒に夕飯を食べた記憶はほとんどありません。
一般的な会社員の家庭であれば、
親父達の労働時間の多さは身にしみて感じていると思います。
純粋に尊敬します。




私は今28歳で、65歳まで働くとすれば
あと37年働くことができます。
あと37年・・・自分には何ができるのかな。
何も無い、焼け野原からここまで作り上げた
爺さんと親父達に負けない働きができるのか。



先人達がやり遂げた偉業を考えるとなんだかすさまじい。
でもよく考えれば、僕達は爺さんや親父達のDNAを受け継いでいるわけです。
そして先人達から教育を受けている。
最近ちょっと日本は落ち目だけど、
昔に比べればずっとチャンスにあふれている。
暗い思考からは暗い未来しか待っていない。



問題がある社会であればあるほど、
ある意味で変化する必要性があり、
そこにはチャンスが生まれる。
暗い社会を受動的に受け止め、
ただそれを甘受するよりも、
能動的にそれを機会と受け止めればよい。




さらには、問題のある社会はある意味で
英雄が生まれやすい社会、考える力を持った人間が
活躍しやすいでもある。
安定しすぎた時代では考える力がつかない。
不安定で、不況であれば、考えないと生きていけない。
だから相対的には日本人は考える力を今蓄えていると思う。



その成果と反動は必ずやってくる。
少し時間がかかるかもしれないけど。
みんな頑張ろうぜ。





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この日記を書き始めた時は
コンプライアンスの話にしようと考えていました。
しかしどういうわけだか全然違う方向に!

ま、いっか。

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