「ひと皮」

「ひと皮」



 5年会社を経営してきて、
夢が叶ったことに満足している。
人と顔を合わせて仕事をすることが夢だったから。
社会から一定の理解を得て口に糊をさせて頂いている。
こんなに幸せなことはない。



 しかし同時に不満もある。
会社を次の段階に持っていくこと。
名目的な拡大などいらない。
私はダイコミュをひと皮剥けさせたい。



 数字遊びをしても何も解決しない。
大事なことはやはり生徒さんの満足、
講座に通って人と話すのが前よりも楽になった、
友達がたくさんできた。成長できた。
仕事がやりやすくなったと言う結果である。


 その密度をもっともっと濃くしたい。
統計的な調査で有意差(効果があること)が出た。
一般的な企業研修を統計的に処理している会社はほとんど
無いからこれは1つの成果だった。
しかし、その効果の大きさについての追求に終わりは無い。
全体的にはスキルは向上していたが、一部悪化している生徒さんもいる。
スキル下降郡を減らすのも至上命題である。



 私は今の社会にどうも違和感を覚えている。
これは言葉では説明できない。違和感である。



 今このPCの画面に向かい、キーボードをうって、
これを読んでくれている方がいること。
これはすばらしいことなのかもしれない。
 講座の生徒さんはIT系が多い。
だからあまり本音をばしばし書くのもはばかれるが、
隠し事はできない。私はこの作業自体にも
違和感を覚えるのである。




 携帯をいじってメールを打っているとき、
 PCに向かって文字を書いているとき、
 アイポットで音楽を聴いているとき、
 コンクリートの道路を歩いているとき、
 画一化された同じようなドアが並ぶ
 マンションの廊下を歩いているとき 
 ホームページのhtmlをいじっているとき
 チェーン店に入ったとき



 その利便性を享受する一方で何かを失っている感覚。
確かに楽しい。辞めることはできない。
私はこれからもPCを使うし、松屋も行くだろう。
だけど僕達は個人で楽しめるものを追求する代わりに
孤立化していく。どんどん「分けられていく」。
そんな感覚を覚える。どんどん土から遠ざかって、
どんどん人間から遠ざかっていく。



 素足で土を踏んでいるときは気持ちが良い
 子供の頃砂場ではだしで遊んだ
 セミの大合唱を聞いているとき
 くだらないことで友達と笑っているとき
 お盆に家族にあって一緒に食卓を囲んでいるとき
 友達と議論しているとき
 好きな女の子に触れているとき(しばらくないが(笑) 
 個人経営のそこにしかない飲食店に入ったとき 




 私の中からその違和感は如実に消えていく。

  

 合成の誤謬と言う経済用語が頭に引っかかる。
「一つ一つのテクノロジー」は確かに
「一つ一つの生活を豊かにする」。
しかし、それが合成されたときに私達は相対的に
大事なものを失っている。



 それはたぶん人と人とのつながりなのだと思う。
最終的には人間は人間でしか幸せになれない。
もっと枠組みを広げれば生き物は生き物でしか
幸せになれない。私はそう思っている。



 私はうまくいけばあと50年ぐらい生きることができるが
生涯そんな仕事がしたいと思うのである。 

 







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