「マーク・ザッカーバーグ」


マーク・ザッカーバーグ




 先日ソーシャルネットワークという映画を見に行った。
FACEBOOKを作った創業者マーク・ザッカーバーグの物語である。
この映画の面白いところは、主人公であるマークのが完全なるKYぷりである。



サイトのアイデアをパクル、友人を裏切る、
元カノの悪口を名前入りでブログに書く、
女の子をランク付けするサイトを作る



 などマークは人から嫌われることばかりする。
だけど、サイトのアイデア構築に関する才能は天才的で
時価総額2兆円以上のFACEBOOKというサイトを作ってしまった。



 会社の経営者と言うと人格者と言うイメージが強いけど、
マークはその才能だけで成功してしまったと言っても過言ではない。
お世辞にもマークは人格者とは程遠い。
マークは周りの人をなかなか幸せにできない。
すぐに裏切るし、自分の好きなことにしか興味が無いようだ。



 しかし、マークが作ったサイトは決定的に
社会に必要なものであって、
マークはその才覚1つで成功してしまうのである。



 以前ブログでも書いたことがあるが、
コミュニケーション能力は

1 人間関係を築く力
2 情報を生成する力
3 情報を伝える力
4 情報を読み取る力


の4つによって成り立っている。
コミュニケーション能力と言うと
 


 なんとなく1人間関係を築く力をイメージする人が多いけど、
これは社会の基本インフラを変えるような力ではない。
人間関係は血液のようなもので、骨ではないのである。
社会の基本インフラを変えるようなコミュニケーション能力は
2情報を生成する力である。


 
 マークは他人に迎合することなく、
とにかく自分の道を突き進んで、
好きなことに熱中し情報を生成した。
そして人間関係を築く力は少なくとも、
自分の能力を活かして、別の形で社会に貢献し人を幸せにした。
日本ではなかなかないような話で、
アメリカ社会の懐の深さを象徴していると思う。




 「コミュニケーション能力が高い」
とは複合的な意味であって、
人間関係を築く力が無くとも別の能力が高く、
そこで社会に適応できれば充分貢献できるのである。
だから人間関係が苦手でも、自分の能力にあう
職場を探してなんとか適応して欲しいと願うのである。



 少なくとも「社交性」が絶対的な価値を持つような
企業のあり方というのは間違っている。
社交性が無くとも情報の生成能力が高い人が
生き残れるような会社を創らなくてはならない。




 ダイコミュにはプログラマーが多い。
よく社交的な会話ができず友達ができず孤独で、
友達がたくさんいて明るい人がうらやましいと相談を受ける。
会社でも社交的な人間が最終的に
上流工程を作成し成果を持っていってしまうと言うのである。
女性に対してもそうだ。内気で話しが下手な男はなんだかんだいって
もてない。おいしいところは社交的なやつが
もって行ってしまう。そんな悩みをよく聞く。
確かにそれは否めない事実かもしれない。
 


 しかし、マーク・ザッカーバーグは社交性も無く、
友達もいないが、その絶対的なプログラミング技術と企画力で
見事に成功してしまう。それは極めて痛快である。
マークは企画だけでなく、自分自身もひたすらプログラミングしていく。
企画だけ出してあとは女の子と遊んでいる1人間関係に重きを置く
ショーンとは違う。「情報を生成すること」自体に快感を持っているようだ。




 マークのプラグラミングに対する情熱ぶりは、
プログラマーに勇気を与えるような作品なのではないかと感じた。
PCに一心不乱に向き合って、難解なプログラミング
言語を打ち込んでいる姿は、もしかしたら女性にとっては
???と写るのかもしれないが、
私は心底かっこいいと思うのである。



 1つのことに集中し、世の中にない何かを
生み出している姿はかっこいい。
たとえそれが、見た目の華々しさは無くとも、
その一点に集中し、社会のインフラを変えてしまう。


 
 私たちが使っているこのブログの画面も、
ミクシーのシステムも、携帯電話のアプリも、
プログラマーが人生をかけて打ち込んでくれた
言語によって構成されている。
この映画を普段は見れないプログラマー
一面を見ることができるのではないかと感じた。














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3/12(土)第3回川柳会開催!!

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