「生きる」

「生きる」




 一生懸命生きる傍らには死があって
 一生懸命生きようとしない命には堕落がある


  −ムツゴロウ−






 本当に自分が頑張っている時は
人生がかかっているときであり、
そのときは文字通り死に物狂いになっている。
 


 社交不安障害になったとき、
これをそのまま放置していたら
社会的に死んでしまうことがわかっていた。
社会的に死んでしまったら、
希望を失って多分僕は自ら命を絶っていた。



 光を遮断した部屋の中で
拡散していく希望をどうにかこうにか
心の中にとどめようとする作業で手一杯になっていた。
苦しくてしょうがなかったから、
なんとか生きようと思った。



 だから「死」を意識しながらもがいて、
心理療法を自分の体で実験した。
目を見ることが恐怖だったし、見られることが恐怖だった。
表情が完全になくなっていた。声が全くでなかった。
人と正面で向かい合うとハンマーで殴られたかのような
強い衝撃を受けるような状態だった。
そんなスタートだった。




 3年かかったが、
どうにかこうにか這い上がった。



 起業したときは、それこそ生きるか死ぬかで
あらゆる退路を断って人生をかけた。
人生の「死」と隣り合わせだった1年は
「死」が近いだけに、
それだけ生命力があったようにも感じる。
命が燃えていたと言う感覚。




 勤めていた会社も、家族の信頼も、
貯めたお金も、5年付き合った恋人も、
起業を進めていく傍らで
どんどんなくなっていった。
「死」がどんどん迫っていく感覚があった。




 1年間売上が全く無く、
相談相手が独りもおらず、
誰も自分がやろうとしている
事業の必要性を感じていなかった。




 先の見えない暗いトンネルを
独りで永遠と歩き続けている感覚。
もうすぐ食料も尽きるし、
精神的な体力も持たない。
「死」が近づいている感覚があった。
そして同時に「生きている」と言う感覚もあった。
いや、「生きなければ」と言う感覚だろうか。

 


 会社が安定すると、反比例するように、
「生きなければ」と言う感覚が減っていく。
「生きなければ」と言う感覚がない時期は
「死」が遠いから快適である。
しかし、快適であることと、
充実しているかということは同義ではない。




 「死」が近い時期はそれだけ命が燃えているから何かが残る。
安定した生活から得られる充実感とは
また違う充実がそこにはある。



 それを求めなければならないと思うこともある。
今はなんと言うか、その渦に巻き込まれないように
適度に距離をとりながら生きている。




 それは私にとってパンドラの箱であるからとても怖い。
だけどもう1度しっかりと生きると言うことはその箱を
空ける作業に他ならないのかもしれない。




 どうしようかと迷う。




 


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