「相対的 絶対的」


「相対的 絶対的」



 
 それぞれの説明は省きますが何かを評価するときは、
相対的に評価するのか絶対的に評価するのかの2通りあります。



 私はエンターテイメント性の高いものに
ついてはなるべく絶対的に評価するようにしています。



 
 なんと言いますか、カレーを食べたとします。
私の場合、レトルトカレーだろうが、
ココイチのカレーだろうが、
中村屋のカレーだろうが、
帝国ホテルのカレーだろうが
うまいもんはうまい。のです。




 相対評価にすると、
レトルトカレーを楽しめなくなってしまいます。、
なんでも比較しながら食べると
いい味を覚えるたびに、今までのものの
価値を見失ってしまうので、
逆に自分の選択が狭くなってしまからです。





 映画とかも、なるべく比較しないで、
○○と比べて〜とかあんまり考えません。
音楽とか本もそうです。せっかくお金を払ったんだから
その分楽しんだほうが得だ〜と考えるのです。






 余談ですが、昔付き合っていた彼女の前で
カップラーメンを恍惚の表情で
うおー!!と言いながら食べていたら、
サハラ砂漠よりも乾いた表情で「心の貧しい人なのね」
と哀れみををこめて言われたのは
とても良いおもひ出となっております。






 んで、人間関係においても、
比較癖があると良くないと考えられています。
人間を相対的に○○さんは○○に比べてとか、
自分は○○さんに比べてとか考えてばかりいると
人の好き嫌いも出てきますし、
劣等感も生まれやすくなります。




 人間関係も基本的には絶対的に評価する姿勢はとても大事だと思います。
なんと良いますか、私は誰であれ、今のそのものの姿で
その方は完結しているといいますか、その個性が
奇跡的なわけで、すばらしいなあと感じるのです。



 
 その個性が自分と合うとか合わないとか、
社会的に望ましいとか望ましくないとかは
もちろんあって、講義の際にこうしたほうがいいよとか
ああしたほうがいいよとか言いますが、
まあ「それはさておき」メタレベルでのその方の
価値は感じているのです。




 だからその方が変わろうが
変わることはなかろうが、
基本的なその人の魅力は変わらず
あると感じるのです。




 たとえとして適切か分かりませんが
価値のある「金」があって、
その形が、金の延べ棒の形に変わろうが、
指輪になろうが、価値があるもんはある
という感じでしょうか。




 
 同じように自分に対しても、
色々と悩んだり、つらいこともあったりするのですが、
そういった悩んだりつらかったりする自分にも
変わらない価値があるんだと思っています。
昔は自分が大嫌いで、責めてばかりでしたが、
色々と勉強を重ねて生徒さんと接したりしているうちに
自分を再評価できるようになりました。




 といわけで絶対評価は絶対的に
大事だと考えるわけです。

  







**********************


10/28 イベント余興会議♪

http://d.hatena.ne.jp/kawa-direct/20121016#c

11/11 秋のイベント♪ 参加者募集中!

http://d.hatena.ne.jp/kawa-direct/20121016#c





マイナビ出版から
「嫌われる覚悟」
著者 川島達史

嫌われる覚悟~ほんとうの嫌われない技術~ (マイナビ新書)

嫌われる覚悟~ほんとうの嫌われない技術~ (マイナビ新書)




*ダイコミュmixi  

生徒さんは参加してね!!
mixiだけのイベントも開催中♪
http://www.direct-comm.com/mixi.html



*コミュニケーション能力UP評判コラム!

会話力UP、聞き方、話し方教室などに関する
限定メルマガ毎月1回発行してまする 
http://www.direct-comm.com/mailmag/index.html





**********************