間を怖れない


 私自身、精神的に病んでいた時期は
いわゆる「間」が怖かったことを記憶しています。
 人と話すときに会話が途切れるのが嫌で、
逆に多弁になっていました。

 傍から見れば私が人間関係で悩んでいるようには
見えなかったかもしれません。何せ会話を途切れることなく
話し続けるわけですから。


 しかしながら会話をする時に「間」を作らないように
意識を絶えず尖鋭化していなくてはならないので
会話が終わると、どっと疲れてしまう。
 そして疲れるのが嫌で、人と話す事自体がだんだん
嫌になっていく。


 内沼幸雄著「対人恐怖」にも書かれていましたが、
「間」に対する不必要な怖れが対人葛藤の問題を引き起こ
していたのです。


 日本には「間」の文化があります。人と人が話している時
その間は様々に変化します。


自分が話しているときの「間」
相手が話しているときの「間」
静寂の「間」

 
 会話に対する恐怖を持っている人は静寂に対する「間」を
ひどく嫌い、楽しめない人なのです。

 私達はとかくコミュニケーション能力の高い人を
「明るくて、活発で、よく話す人」とイメージしがちです。
 その像自体を完全に否定するものではありませんが
また完全に肯定することもできません。

 
 人間とは悩む生き物です。そして悩むと言う感受性が
無くては成長できない生物でもあります。
 いつも明るく活発な人などよほど運が良いか、
感受性が極端に鈍いかのどちらかです。


 人間には良い部分もあれば悪い強い部分もある。
だからそれを隠すことなく、しっかりと相手に伝えることが
大事なのです。


 会話が続かず「間」ができてしまったら
あせることなく、その「間」を受容し、あたりまえの事として
受容する。会話に完全性を求めなければ
会話をすることに力を抜くことができ、
余裕を持って話をすることができるようになるのです。