話題の広さと深さ


(たまにはデアル調で書きます。読みにくいです。すみません(^^;)


 *マスメディアによって提供される情報は、
多くの人と共有できる知識である。例えばテレビにおける視聴率の
高い番組を見れば見るほど、共通の話題を持つ人間の母体が
増えることになる。数的に解釈すれば、
視聴率が30%のドラマがあり、それを視聴したとすれば、
およそ日本人の30%と共通の話題を持つことができる事になる。


 人間関係において、共通性が重要な要素であることを
鑑みれば、マスメディアを巧みに利用することが
人間関係を築くために重要な要因となるかもしれない。
話題を広く持った方が、その網にかかる人との人間関係を
築き易くなるのだから。
(共通性が人間関係の役立つと言う原則は別の機会に
論ずる)


 これに対して、能動的な個人の選択によって獲得される情報に
ついては、これを他者と容易に共有することが難しい。それは情報の
普遍性が欠落しているために、共通性が薄れているからである。


 例えば、私は脳の仕組みについて勉強しているが、
この話題を他者と共有することはすごく難しい。
 少なくとも脳に対する興味がないと、この種の分野で
意気投合することは難しいだろう。所有している情報が
少数派であればあるほど、情報の共有に時間がかかり、
人間関係を築くのに時間がかかるのだ。


 しかしながら、人間関係を築くと言う目的の為に
盲目的にマスメディアの情報を追い求める姿勢には疑問を
覚える。


 世の中の話題についていくために、できるだけ
多くの雑誌を読んで、ニュースを見て、ドラマを見て、
沢山の情報を得る人がいる。その共通した話題を駆使し、
人間関係を築こうと言うのである。


 しかし、マスの情報には大きな落とし穴がある。
誰もが知っている情報と言うのは価値が薄いのだ。
情報の価値と言うのは、独占的であればあるほどその価値が
高まっていく。例えば私はコミュニケーション講座を開いて
いるが、そのワークのやり方を誰もが知っていたら私は
生徒さんや企業か需要されないだろう。


 すなわち、盲目的にマスの情報を追っていくことに
よって、自己の所有する情報の価値の特殊性は減少し、
ある意味では内容の薄い人間になってしまうのだ。


 大事なことは、マスメディアの利用と、自己選択的な
情報の追求の両者をバランスよく使い分けることである。
話題の広さはある程度確保しつつも、深さがないと
面白みの無い人間へと成り下がってしまう。


 私自身の事について言えば、私は話題の選択肢を
多数持っている人間ではない。私はどちらかと言えば
ある分野(心理学、人間関係、論理、コミュニケーション)
に対するオタク性を持っているため、社交性は薄い人間である。


 コミュニケーション理論が好きであるために、
それ以外の分野に対する情報が不足し、
世の中の話題に乗って行けないと言う自己矛盾を所有しているのだ。


 だから私は、ことコミュニケーションに関する講釈を
垂れる以外は、もっぱら聞き手に終始する事になる。
自分が提供できる情報が不足しているからだ。
また、それはそれとして受け入れているし、
人の話を聞くことは本当に楽しいので問題ないが。


 結論を述べれば、

 マスの情報は人間関係を築く上で
即効性があり、入り口としての効果が高い。
しかし情報の価値事態は低いので、マス情報の
確保に人生を費やすと自分を見失うことになる。


 これに対して

 自己選択的に確保する特殊な情報については
人間関係を築く上では、即効性は薄いが、情報の価値は高いので
人生の芯を貫く上では欠かすことができない。


 私の講座を受講される生徒さんはどちらかと言えば、
マスの情報が不足していることにコンプレックスを持っている
方が多い。特に、専門職で職人気質の仕事をしている方は
雑談が苦手な傾向が高い。


 だがそれは自分の人生を築く上で欠かせない知識の
習得に誇りを持って人生を貫いた結果であり、
それによって自己価値を下げる必要など何処にも無いのである。


 自己の提供できる話題が無い場合は聞き手になればいいのである。
相手が持っているマスの情報に興味を持ち、それをしっかりと
聞くという態度を取れば、特殊な知識の習得に人生をかけたとしても
人間関係を築くことはできのだから。





*マスメディア

新聞社、出版社、放送局など、特定少数の発信者から不特定多数の
受け手へ向けての情報伝達手段