「誰であるか」



「誰であるか」




 英文学者エリックマクルーハン



「インターネットに乗れば人は誰にでもなれます。
逆に言うと、誰にでもなれるということは誰でもないと言うことです。」



と述べています。
(交換する科学より抜粋)



 インターネットでは匿名性が支配しています。
ネット上では「誰でも誰にでも」なれます。
例えば掲示板には自分ではない誰かになりすまし
書き込みを行うことができます。




 インターネットは世界中の何処にでも繋がっていて、
世界中で「誰にでも」なれるのです。



 しかしこれを逆に考えれば、インターネット上では
「誰であるか」と言うことをしっかりと表さない限りは
何者なのか判別がつきません。例えば掲示板に書き込んでも,
結局どこの誰が書き込んだのかほとんど解らないのです。



 これによりインターネットでは無責任が横行します。
誰なのか解らない以上、責任を負う必要が無いので自分勝手な行動が起こります。
責任が発生しないと言うことはとても楽な世界です。
何を言ってもとがめられない。やりたい放題な世界なわけです。




 テレビゲームの世界でも同じです。
テレビゲームの世界では自分ではない誰かになり、
その世界の中で時間を過ごすことができます。
そしてその世界の中ではヒーローになる事ができます。



 インターネットの発達により、世の中は大きく変わりました。
人は自分自身が特定される直接的なコミュニケーションの世界から
誰にでもなれる世界で多くの時間を過ごすようになりました。




 誰にでもなれる世界では自分をよく見せることができるため、
気持ちよく過ごすことができます。ネット上に溢れる
自己紹介などを見れば、本来の自分ではないそれ以上の自分が
溢れ返っています。




 ゲームの世界ではいつでもヒーロになることができます。
自分自身がいつでも主役になり、伝説となることができます。




 しかし、現実は現実として別にあります。
ネット上でいくら誰でもない自分になったところで
パソコンの画面を切ってしまえば、元の自分に戻ります。
そして必要以上にネット上で自分でない自分になっていると
本来の自分に戻った時に喪失感を味わうのです。




 そして最後には自分そのものをさらけ出さなくてはならない
現実におけるコミュニケーションに困惑してしまいます。
そもそもの自分とは違う自分をネット上で活躍しているために、
本来のなんでもない自分の姿に劣等感すら感じ、
そんな自分をさらすことに苦痛すら感じてしまうのです。



 
 大事なことはネット上でも、できる限り本来の自分と離れないように
心掛ける事です。もし本来の自分と離れつづける生活を続けていると、
元の自分に戻ることが難しくなってしまうからです。
 


 最も最悪の結果としては架空の自分になることを繰り返し、
本来の自分に戻れなくなることです。


 
 
 直接的なコミュニケーション能力の向上を目指すなら、
中毒的にゲームの世界で主役を目指すのではなく、
現実の世界で主役を目指すべきです。




 また仮想の世界で自分以上の自分になりすまして
恍惚に浸るのではなく、現実の世界で自分以上の自分をめざし、
努力しなくてはなりません。



 




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