「シムシティーと日本社会」


シムシティーと日本社会」



 社会心理学を勉強しているときに
ふと次のようなことを考えました。



 
 昔、スーパーファミコンシムシティーと言う
ゲームがありました。かなり売れたソフトなので
私の世代なら実際にプレイした方も多いと思います。




 このシムシティー、人が1人もいない平地から、
商業地区や、工業地区、住宅地区、図書館や警察、
消防、遊園地、発電所を作って、町を発展させて
行くと言うゲームです。



 第一段階としてはとにかく平地を開発して、
町を大きくしていきます。ある程度の技術が
あれば人口がそこそこ増え、それなりの町ができます。
平地を大きな町にしていく感覚は快感そのものです。



 しかし、町の土地の広さは限られています。
そのうち町を大きくする作業には限界が生じてきます。
 そこで第二段階として、市の予算等をうまく使って、
色々な対策を立て、都市を内部的に発展させようとします。
 道路の流れを良くする対策を立てたり、
発電所を、火力から原子力に変えたりと。



 この作業は平地を町にしていく作業よりは
劣るものの、それなりに楽しいものです。



 しかし第二段階の対策が過ぎると、もう町としては
ほぼ完成してしまいます。高層ビルが立ち並び、
人口も増えませんし、劇的に変える事はなくなってしまいます。
社会的にはもう人口や税収を前年度と同じ水準を維持するだけで、
やることほとんど無くなってしまいます。




 そうしたら、ゲームとしてはもう終了です。
完成された都市になったら、あきてしまうのです。




 私はふと日本社会もシムシティーに似ているなあ。
と感じました。戦後日本の都市は焼け野原になりました。
そこから町を作り、GDPレベルで世界2位の国まで上り詰めていく様は
当時に方にとって見れば快感そのものだったと思います。
電車が町を始めて通る快感、電気が通る快感、テレビが家に来る快感・・・




 しかし、私の世代(1970年代後半以降)において、
日本社会はある程度完成されていました。
 インフラも整備され、どんなに貧乏でも生活必需品は
大概の人が揃います。洗濯機、テレビ、冷蔵庫、掃除機が
無い家庭は少数派でしょう。
(もっと私の家には冷蔵庫がありませんが(笑))



 食事に関しても、贅沢しなければ充分食べていける社会です。
少子化や年金の問題はありますが、戦後に比べれば
はるかに完成された国であると言って良いでしょう。




 これはある意味で、あきやすく、つまらない社会です。
シムシティーでは社会が完成された瞬間、あきてしまいまいます。
 日本の社会もある程度完成されてしまった感があって、
これ以上発展させようと言うモチベーションが沸かないように感じます。
 直感的で、データがあるわけではありませんが、
私の世代にはなんとなくこの辺の面白さを感じることができないのです。
これは戦後の世代の方がある意味で羨ましいところです。





(もちろんこれはマクロレベルの話であって、
 ミクレベルではやる気に満ちた人はたくさんいますが)




 
 やる気を出すには、平地からのシムシティー感覚と言うか、
社会としての完成された感を出さないことが大事なのかもしれません。
人間やることが無くなったらつまらないのです。





 だから、今の社会を完成されたものとして
捉えるのではなく、もっともっと発展する、
もっともっと都市としては変化して、
面白い町になると確信して、行動することが
大事なのだと考えています。




 


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