「理解しようとする姿勢」

「理解しようとする姿勢」



私は仕事柄コミュニケーション障害を持った方の相談を受けます。
障害を持った方は多くの方が社会の理解が足りないために、
偏見を持たれ、仕事ができない、人の気持ちが解らない、
頭が悪い、甘えていると一蹴され、つらい思いをしています。



最近、罪とか罰とか差別とか偏見についてよく考えます。




ある弁護士さんが



裁判員制度が始まったら、死刑の数は減るでしょう。
 被告には大概どうしようもない事情があるのが普通だからです。
 一般の人には冷徹に裁くことは難しいと思います。」


とおっしゃっていました。
印象的でした。




死刑制度の是非はおいておいて、
人間の行動には全て理由があります。
それは、遺伝的な要素もあれば、
育ってきた環境もあるでしょう。




もし相手を理解せずして結果だけを見れば、
怒りや嫌悪感が生じ、攻撃性だけが前面に出てきます。
それは国家間であれ、個人間であれ、
両者にとって不利益であることが多いのだと思います。
誤解から生じる争いほど無意味なものはありません。



重要なことは、やはり相手を理解しようとする心だと思います。
理解すれば大概の誤解は解けると思います。
そして、相手を差別したり、偏見を持つことが
間違いであったと気づくでしょう。



差別や偏見がなくなれば、
ありのままの人間の姿同士で、
新しい関係を築くことが可能です。



それぞれの経験や価値観を伝え合い、
能力や個性を正しく捉えて、
その上で両者にとって最善の関係を模索する。
「コミュニケーションができる」ということは、
よりよい関係を築くための人間の大きな能力なのだと感じます。




今書いている私自身、相手を理解しようとする心が
まだまだ足りません。成長せねばらなんと強く思います。







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