「嫌うということ」


「嫌うということ」





 人から嫌われたり、冷たいことを言われたり、
嘘をつかれれば、誰でも嫌な気持ちになる。 
マイナスの人間関係が連続すれば誰でも
人間不信になってしまう。人間はそれほど強くはない。 





 悪いことは続く。




 今度は自分自身が相手を嫌ってしてしまう。
陰口が陰口を呼ぶ。嘘が嘘を呼ぶ。
人間関係は負のモードに入ると止まらなくなる。






 嫌ったり、陰口を叩いたり、多少嘘をつく
という行為は、確かに一定の意味はある。
これを完全に排除する必要などない。




 しかし、「過剰」に嫌悪の精神を持てば、
その感情は自分自身を苦しめる結果になる。
だからやはり、人を嫌う理由を探す癖を
減らすように努めなくてはならない。




 人を嫌えば、コミュニケーションはうまく行かない。
コミュニケーションがうまく行かなければ
自分を好きになれない。自分を好きになれないと、
楽しくない。楽しくないから会話が楽しくない。
人が寄って来ない。ますます人が嫌いになる。





 どうすれば、このループから
抜け出すことができるのか。




 例え自分を嫌う人がいようとも、
自分は相手を信じることである。
プラスにはプラスが返ってくると
信じて疑わないことである。



 確かに人はたまに裏切るかもしれない。
100回信じて、20回ぐらいはうまく行かない
こともあるかもしれない。でも絶対に80回はうまく行く。
うまく行けばもっと信じてもらえるかもしれない。



 不思議なことに、100回不信感を持てば
100回不信感が返ってくる。
人を信じなければ、誰も信じてくれない。
信用してくれない。





 だから信じるのである。皆から馬鹿にされてもいいのである。
誰が馬鹿にしようとかまわない。偽善だとか、うそ臭い
と言われてもかまわないのである。
綺麗な言葉を使う必要もない。葉の浮くような言葉を使う必要もない。





 素っ裸になって、ぼうっと突っ立って、ブサイクな顔をして
弱さをさらけ出して、こういれば良いのである。






「おまえがどう俺を疑おうと、
 それでも俺はお前を全力で信じている。」






 
 
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