「核となる自分のコミュニケーションスタイル」


「核となる自分のコミュニケーションスタイル」



 
 本音で付き合える間柄はストレスが少なく、
ある意味で楽なコミュニケーションが可能である。
同年代、同姓、同じ価値観を持つ間柄であれば
相当楽なコミュニケーションをとることができる。
それはそれで重要なことだ。
自己開示は進み、深い共感を得、結果他者への信頼と
自己肯定感を手にすることができる。



 しかし、社会に出れば異なる年齢、異性、異なる価値観を
持つ人たちと関りあうことにある。特に都市部では顕著である。
そんな時は疎外感を感じたり、あるときは異質な他者を批判をしたり、
または異質な他者から批判されたりして
行き詰まりを感じるかもしれない。



 そんな時は、「変わりたい」という欲求が出てくるかもしれない。
人間のコミュニケーション能力は3日で変わることは無いが、
長期的に取り組んでさえいれば身長や体重が変わるのと
同じように変化していく。
 だからもし今まさにいる環境に適応できず、
行き詰まり感じているのであれば、
変化することにチャレンジしたほうがいい。



 「異なるもの」に適応していく、
ある意味で同質化して行くことで
人間の環境への対応力は広がって行くからだ。



 
 ただし、人間には変化できる限界がある。
また変化しなくても良いことすらある。
 都市における人間関係の有り様は
砂漠かと思えば、海になり、海かと思えば
陸となり、陸で歩けば、雨が降るようなものである。



 それらの変化はまさに分単位で起こりうる。
一日で考えれば、




 通勤時に一緒になった同僚との会話、
朝礼での挨拶、営業、プレゼン
タクシードライバーの運ちゃんとのとりとめも無い会話
電話応対、ランチタイムの雑談、
上司へのホウレンソウ、退社時の挨拶、
恋人とのデート、友人との電話、家族との会話、



 これらの環境が日中めまぐるしく変わっていく。
さらには一つ一つのカテゴリの中にも
相当多様なコミュニケーションの質が存在する。
通勤時の同僚は機嫌がいいときもあれば悪いときもある。
最高に紳士的な運ちゃんもいれば
失礼な運ちゃんもいる。



 これらの環境の変化にその都度適応しようと
もがくとある意味で八方美人になり、
「自分とは何者なのか」という核がなくなってしまう。
安定しないコミュニケーションスタイルは
「自分らしさ」を喪失させ不安定になってしまう。



 ある程度嫌われても良い。これが俺のスタイルだ。
という確固たるスキルを確立すれば
いちいち流されることもなくなるし、
環境の変化や他者の感情に迎合する必要が無くなる。



 抽象的なイメージではあるが、
「流動的に変化する部分」は3割程度残し、
7割は「変わらないコミュニケーションスタイル」
を確立することがよい。
ある程度流動的に変化する部分と
固定的に揺るがない部分が定まれば
相当楽になるはずである。



 ただし、この「変わらないコミュニケーションスタイル」
のどこに落としどころを持ってくるのか?
これは自問自答しなくてはならない。正解など無いからだ。
統計的に好かれ易い人や振舞い方はある程度はっきりとしている。
しかし、それを身につけ、変わらないものへ固定化する
必要があるのかどうか?それは本人にしか分からない。
 講座ではなるべく人間関係に有利になるようなものを
伝えていくがこれを固定的に取り組んでいくかどうかは
当たり前だが生徒さん次第である。




 そして大事なことは、何を取り込むかを
「決めること」自体に意味があったりする。
長期的に自分のスタイルに迷っていると
それだけでかなりにストレスになる。
前向きに決めてしまえばもう悩まないですむ。
 何が自分なのかは慎重に決めるべきだが
それでもいつかは決めたほうが良い。
根本的なところを決め、あとは微調整をすればよい。



 マクロレベルで豊かな人間のコミュニケーションを
考えれるとすると、それぞれのスタイルは「同質性」と「異質性」が必要になる。
「同質性」は情報の伝達効率を高め、「異質性」
は情報の量と質の幅を広げることに資する。



 合成の誤謬を鑑みずに、マクロをミクロに単純に
割り算したとすれば、対人コミュニケーションにも
「同質な部分」と「異質な部分」もつ個人が集合すれば
それだけ豊かな社会が創れる。
同質な部分しかない集団は変化に弱い。
異質な部分しかない集団はまとまりに弱い。



 異質であること、自分なりであることを恐れる必要は無い。
それは社会にとっても必要なことだから。
異質であることは批判の対象になったり嫌われるリスクを助長させる。
しかし、それは前向きに享受して「自分なりの核」
を構築したとき、自分なりのコミュニケーションスタイルは
完成に近づくのだと思う。




(自戒の念をこめて)





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