「人間はほとんど同じ」

「人間はほとんど同じ」





     人格批判





 人と人が関わり合えば、必ず行き違いが生じる。
彼や彼女の物理的な行動を批判するのは良い。
 しかし人格批判はご法度である。
人格批判とは根本から人間性を否定する言葉。
*positive politenessな発言ならまだしも、
差別的にこれらの言葉を使うことによってどれだけその人が傷つくのか。



 人間同士の遺伝子の一致率は99.8%だと言われる。
遺伝的に考えれば僕とあなたはせいぜい0.02%ぐらいしか変わらない。
0.02%しか変わらない彼や彼女の人格を批判すると言うことは、
自分自身を批判しているのと同じである。



 私達は基本的にほとんど同じである。違いはごくわずかである。
アメリカ人も、フランス人も、ベトナム人も、中国人も、
人格障害の人も、自閉症の人も、背の高い人も低い人も、金持ちも貧乏も・・・
僕もあなたも臭い糞をするし屁もこくのである。
臍のゴマだってどんなにがんばってもゼロになることはないのである。




人格批判は自分を批判しているのと同じである。






       劣等感

       


 
 劣等感に苛まれることがあったのなら、
少しだけ立ち止まって自分は本当に
劣っているのか考えてみると良いかもしれない。
「僕は本当に劣っているのだろうか」
よく見える彼や彼女も緒戦は自分とほとんど同じ遺伝子を持っている。
自分をダメ人間だと蔑む論理的根拠はあるのだろうか。
証拠などあるのだろうか。 
 

 
 人間同士の違いのほとんどが「流れ」から来ているのではないか。
努力できる人は、努力できる「流れ」ができていた。
努力するモチベーションを得られる「流れ」が整っていた。
サボっているように見える人はサボる「流れ」ができていた。



 流れの中にある木の葉のように、
右に行く木の葉もあれば、左に行く木の葉もあった。
右に行った木の葉は確かに綺麗な水に漂っているかもしれない。
左に行った木の葉は運悪く泥土に使って汚れているかもしれない。
だけど木の葉は木の葉である。



 木の葉自体が優れている、
劣っているということではない。
ああ左にいった木の葉はちょっと判断間違っちゃったね。
という程度のものである。


 
 右に行こう左に行こうとジタバタするのは良い。
だが一人一人の能力には限界がある。
良い流れに乗れることもあれば、
悪い流れに流されることもある。
だけどそれは全部が全部自分のせいではない。


 つかないときはつかないものだから。
皆ついていたら世の中おかしくなる。
自分がマイナスを背負って相対的に
誰かを助けていると思えばいいのではないか。
そう考えるのは難しい?


 

 僕は泥土の中にいるとき
そう考えるようにしている。


 




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*positive politeness・・・礼も過ぎれば無礼になる。
             ある程度砕けてコミュニケーションする姿勢       
          





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