「共感と同情の違い」


「共感と同情の違い」





先日共感についてブログを書かせていただきました。
http://d.hatena.ne.jp/kawa-direct/edit?date=20090227


ここで、生徒さんから以下の質問を受けました。
重要なことなのでブログ上で回答したいと思います。



 投稿者ようさん
>『同情』とは違うのですかね?
>言葉のイメージですと『共感』の方が良いイメージですが、
>『共感』と『同情』の違いってなんだろうと思いました。

投稿者じゅんこさん
私もよく悩みます。>「共感」と「同情」の違い


>自分では共感して「大変だったね」「辛かったね」などと言ったつもりでも、
>相手にわざとらしく聞こえてしまっていたり、「同情しないでくれ」と言われてしまったりします。
>「大変だったね」だと同情で、「大変だったんだ」だと受け入れる形になるから共感になるんでしょうか?



同情と共感の違いについてですが、
学者によって微妙に説が変わりますが、
私の理解としては以下のようになります。




共感は広い概念で、反射、投影、相対的理解の3つがあります。
同情はこのうち投影に近い概念です。
ですので以下同情は投影として考えて見ます。
学者によっては共感と投影(同情)を別のものとして
考える人もいますが、私は投影(同情)は共感の1つの
種類だと考えています。



投影とは、自分の体験を相手に映したものです。
物語で説明しましょう。




太郎君は貧乏だった時に、つらい思いをしました。
毎日パンの耳をかじって、孤独でつらい思いをしました。
体重も減り、ついには50キロになってしまいました。



彼はその後、仕事で成功し金持ちになりました。
金持ちになった後、太郎君は昔の友人の花子さんと会う機会がありました。



話を聴くと花子さんは今とても貧乏しているらしいです。
太郎君は昔貧乏した経験から花子さんがとても今苦労していると感じ、
「花子さんも生活が大変だなあ」と同情しました。
しかし、実は花子さんは質素な生活が大好きで、
幸せなそのものでした。ですので花子さんは
「余計なお世話だ」と感じてしまいました。




このように、投影は共感の中に内包されますが、
相手の状況と必ずしも一致するものではありません。
一致すれば良いのですが、一致しない場合は
相手から理解されていないと思われ、
信頼を失うことになります。
ですのでカウンセリングの世界では投影した
体験を相手に語ることは控えるように指導されます。




物語の例で言えば、
太郎君はしっかりと花子さんの話を聴いて、
「質素な生活は楽しいものなのですね。」
と言ってあげることになります。
これが相対的理解としての共感になるのです。



同情と、共感については
主張する人によって
微妙に変わってきますが、
おおむね以上のように理解するといいでしょう。




ただし、臨床上の傾聴スキルと
一般方の傾聴スキルは必ずしも一致させる必要はないと思います。
同情することが悪いということでもないのです。
相手が同情されてもかまわないこともあるでしょう。




私自身のことを言えば、
基本は相対的理解を機軸にしていますが、
自分の体験を照らし合わせて
相手に投影することもあります。



コミュニケーションは他者のためだけに
あるのではなく、自分自身のためでもあります。
同情することは自分の中にそういった感覚があることが解り(自己一致)、
自分自身の助けにもなることがあるのです。








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